2005.10.15 Saturday
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古今東西音楽館増築部2005.10.15 Saturday
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2004.11.12 Friday
長崎ぶらぶら節〜愛八
ビクター VICG-60403(2000)
映画にも舞台にもなったなかにし礼の小説「長崎ぶらぶら節」の主人公・愛八本人の演唱によるSPをすべて収録したもの。昭和6年の2月の録音10曲で同年5月〜翌7年11月にかけて発売されています。 CD では Aihachi となっていたのでずっとそう思っていましたが,いくつかの文献では「あげはち」とされているそうです。親族で「あいはち」と呼ぶ方もおられたようですが,親族にだけそう呼ばせていたのかもしれないと,取り敢えず「あげはち」と呼んでおくことにしました。 もともと日本人は誰もが詩を読む事や歌を歌うことが得意だったのではないかと考えています。(日本音楽史家・小島美子さんも「クラシックを音楽の頂点に置く教育が歌えない日本人を作り出した」とずっと主張しておられる。) 子守歌で眠り,爺や婆が語る昔話が歌として耳に届き,子供の遊びのほとんどが歌と結び付いていた頃,若者は男女の寄り合いで歌で気を引こうと頑張ったり気持ちを伝え合ったりしただろう。毎日の作業には仕事歌,冠婚葬祭に祝の歌・弔いの歌。季節の節目には祭りの歌。そして慰霊や神に捧げる歌。 社会や制度の変遷と共にそれらが発展して専門の集団ができれば芸能としての道を歩むわけです。最初から芸能有りきとは思えないんですね。きちんと本を読んだわけでもない不勉強者の戯言ですが,「芸」になる以前,庶民の生活の中にシャボン玉のように現れては消える歌に興味が湧くのです。難しく言えば公共性を獲得する以前のとても個人的な歌に…かな。 乱暴に言ってみれば,作家・作品なんてどうでもいい。出来が良いもの悪いもの,みんなひっくるめて生活の糧である歌。聞く事・体験することの不可能なものへの憧れがあります。フィールド・レコーディング…これは紛い物です。紛い物として愛すべき物。 一方で庶民の歌のある部分は都市に流れて変形し,磨かれて光ったものがスタイルを確立していったのだろうと夢想します。遊郭・寄席・芝居小屋・旅芸人・・・演じる者と受け取る者が明確に分かれる場で,喜ばれ繰り返し演じられてより強い生命力を獲得していったのだろう。それでもある芸は消え,ある芸は残る。そして変化する。 このアルバムにも“江差追分”が収録されています。今でこそ民謡の王様的扱いを受けるこの歌も,都会で洗練されて初めて全国区のいわゆる「民謡」になったのかもしれません。 消え行くものを惜しみ,形に残そうとする人がいるのは何故なのか。消えて行く感性や美意識を惜しむのはどういった類の人なのか。まあ考える事はたくさんありますが。取り敢えず図書館で借りそびれたままになっている本を早く読まねばなあ。 2004.10.10 Sunday
ハイCsの殺戮〜Florence Foster Jenkins
先にSPを4枚残した…と書きましたが,RCA盤に収録の曲目を書いておくと,下のようになります。録音データは不詳です。
1.夜の女王のアリア Queen Of The Night Aria / Mozart 2.音楽玉手箱 The Musical Snuff-Box / Liadoff 3.鳥のように Like a Bird / McMoon 4.鐘の歌 Bell Song / Delibes 5.セレナータ・メキシカーノ Serenata Mexicano / McMoon 6.かわいい鳥 Charmant Oiseau / David 7.ビアッシー Biassy / Bach-Pavlovich 8.アデーレの笑いのアリア Adele's Laughing Song / Strauss,Jr. そして,このほど新たにもう1曲見つかったもの(9.Valse Caressante / McMoon)を含めて全9曲,音楽ファンの味方 NAXOS から新譜が出ていたので紹介しておきます。 日本盤の題名が凄いことになっています。「ハイCsの殺戮」。なんでしょね,ハイC。今もあるんでしょうか。武田薬品から出ていたビタミンCのタブレット。んな訳ない。オクターブ上のCってことでしょうか。バイオリンなら「G線上の…」。フローレンスさん,強烈なソプラノです。「C調の…」では間が抜ける。ま,そんな訳で,アメリカの大屋政○おばさんの残した音源はすべて聴けることになりました。目出度し目出度し。 Florence Foster Jenkins / Murder on the High Cs NAXOS 8.120711(2003) 2004.10.09 Saturday
人間の声の栄光〜Florence Foster Jenkins
本タイトルには実は「?」が4つ付いている。正式には「人間の声の栄光????」なんである。英語題は「The Glory(????) of the Human Voice」である。『RCA100周年特別企画』でリマスターでリリースされたこの1枚。フローレンス・フォスター・ジェンキンズとは一体何者であろうか????
▲前のブログで一度書いた物です。そこでは「続きを読む」のボタンをクリックしないと以下の文が表示されない仕組みだったので,こんな前振りをしています。(;^_^)ゞ 語尾も「だ調」になってますが,気にせずお読みください。2種類のCDを挙げたので,その時のコメントも付けて2回に分けて語ります。▼ いつも後で何とかしようと思って書くメモだが,後で何とかなったタメシはほとんどない。そんな幾層にも重なって朽ち果てつつあるメモ用紙(単なる紙切れの事が多い)の地層の中で,何年も眠っていた彼女の名を見つけたのはほんの偶然だった。シワシワになった小さな紙切れを目にして,みるみる記憶が蘇る。もうかなり昔,深夜放送でそんな女性がいる事を耳にして咄嗟に書いたものだ。そこには名前以外に「史上最大のオンチ,大金持ち,カーネギーホールで公演」という鉛筆書きの文字が読み取れたのだった。 その時は実際の歌が聴けなかった為に,その後何年も意識下で好奇心が疼くまま忘れていたのだ。ごめんよ,こんなに待たせて。ワシの好奇心。…それからの重なる偶然に導かれて本CDを手にした時は,まさにそんな心境だった。 長々と個人的なことを書いているが,この人を,この歌を,この音楽をどう説明して良いやら・・・分からないのである。これほど「百読は一聴にしかず」と思わせるものは他に無い。…調べれば分かることをちょこっと書いてごまかしておくかな。 富豪の娘として生まれ,富豪と結婚。離婚して莫大な慰謝料をせしめ,40歳にして念願のオペラ歌手としてのプロ活動を開始たフローレンスは,一躍人気者となったのです。 彼女のリサイタルは常に笑い声から始まって,熱狂的な歓声と拍手で終わったと言います。彼女の「唱法無視,音程無視,リズム無視,テンポ無視」そして姿形,衣装,すべてが笑いを誘ったのです。しかし「人に生きる希望を与える」ほど「自信たっぷり」に繰り広げられるパフォーマンスを体験し,ついに観客は賞賛の嵐を送るようになるのでした。「楽譜というものの束縛から己をこれほど徹底的に解放した人間は皆無」と賛辞を与える評者までいるのです。 しかし,1944年,カーネギー・ホールでの公演を成功させた1ヶ月後,心臓発作で急逝してしまうという悲劇に見舞われてしまったのです。我々に(おそらく1930年代に発売された)4枚のSPを残して…。 この作品集…オペラについては無知なので解説を鵜呑みにすると,オペラ・アリアきっての難曲と言われる“夜の女王のアリア”以下8曲の歌曲を収録したLP…は,後世に受け継がれるべき歴史的遺産“RCAレッド・シール”のひとつなのだそうだ。こんなもんでいいか。(;^_^)ゞ Florence Foster Jenkins 〜 人間の声の栄光???? BMGファンハウス BVCF-37029(2001) 2004.09.22 Wednesday
李香蘭(リィ・シャンラン)
1998年に百代/EMIから出た國語の歌18曲を収めた作品集です。香港,台湾,マレーシア,シンガポールの EMI の著作物とありながら,盤面にはメイド・イン・ジャパン。インレイの背表紙には DENON MASTERSONIC SERIES。このCDは EMI MASTERSONIC SERIES と銘打ちながら DENON…つまり日本コロムビアでリマスターされているらしい。(?_?)
ところで「百代」とは何かと言うと,今世紀初頭にフランスのパテ社が上海の租界に設立したレコード会社です。「パテ→パイタイ=百代」ともじって名付けられたのが「東方百代唱片公司」だそうで。ちなみにパテ社は現在のフランスEMI。1930年にイギリスEMIに吸収されて「上海百代唱片公司」と社名変更したと聞きました。その後,時節柄香港に拠点を移して現在の「香港百代唱片公司」に至ると。 資料によると1930年代の上海は,50局もの放送局,1000本近い映画,200万枚のレコードが音楽を流し続けていたのでした。華やかで活気に溢れた街を想像しますが,当然,酒と女や金との関りを知りたくなりますね。でも「上海バンスキング」も未体験な館主では貧弱な想像しか出て来ません。(;-_-)_あしからず。 上海・香港で生まれたこれらの中国語(國語)の流行歌は1960年代には「時代曲」と呼ばれたそうです。「時代がかった古臭い曲」ではありません。「時代の寵児」の使い方の「時代」ね。映画の主題歌・挿入歌も多かったようですが,ジャズ,ラテン,クラシック,当時の世界の流行の最先端を行く音楽性に中国風のエキゾチシズムが良い具合に溶け合って,とても美味しい。マニアだけの物にしておくのは本当に勿体無い。現代の広東語ポップスとお土産カセットの民謡しか知らないのは,かなりの損です。が,時代曲についてはいずれまた。 李香蘭の話の前に収録曲を。 01.夜來香 02.賣糖歌 03.海燕 04.蘭閨寂寂 05.烏鴉配鳳凰 06.身世飄零 07.河上的月色 08.心曲 09.分離 10.梅花 11.他總有一天回來 12.歌舞今宵 13.小時候 14.三年 15.情枷愛鎖 16.十里洋場 17.恨不相逢未嫁時 18.只有イ尓 01〜03は声も可愛らしく,音質から戦前の録音だと思われますが,03はどう聞いても三拍子のソプラノの歌曲…どっかで聞いた覚えのある旋律だが…作曲者は華人。ローティーンの頃,健康の為に声楽をロシア人に習っていたと言う李香蘭の歌声は,端正で艶があって美しく,曲との相性もぴったりで,特にスローな曲は最上のうっとり級。美しいスコットランド民謡とそっくりな曲もあったりなんかして,素性を調べてみたくなります。 中国楽器と中国民謡風のメロディのは1955年前後の映画「金瓶梅」の挿入歌,同時期に数本の香港映画に出ているので,この中の半分以上はこの時の録音でしょうか。香港ラテン・ソングの傑作“梅花(メェファ)”の名唱は「神秘夫人」の挿入歌,“心曲”も良い曲で…アメリカンな弦とピアノ…盗作かなと思ったらチャップリンの「街の灯」のテーマのようです。 唯一残念なのは“賣糖歌”は入っているのに,対となる“戒煙歌”が入っていないこと。これは阿片中毒から立ち直ろうとする青年に恋をする飴売りの娘に扮した映画「萬古流芳」の重要な歌なのだ。…と言いつつ観てはいないんですけどね。百代マレーシアの20曲入りベストや国内盤のベストに入ってはいるそうだけれど,どうしようかなあ。 2004.09.07 Tuesday
おらしょ〜隠れキリシタンの祈り
「おらしょ」。日本語であるようなないような奇妙な言葉の響きがあります。「オラトリオ」と似ているなと思った人は取り敢えず正解。キリスト教の各行事で唱える祈りの言葉(oratio)が訛ったものと言っておきましょう。
徳川幕府の禁教令でキリスト教の宣教師達は追放され,信者だった者の大半は信仰を捨てました。しかし,その中に,隠れながら信仰を持ち続け,以後250年もの間,当時の「行事」と「祈り」をそのままの形で伝えてきた人々がいたのです。しかも,明治時代になっても新たに開放された教会体制に入らず,そのままの信仰形態を続けたと聞けば驚愕を覚えないではいられません。 ラテン語と和文の入り混じった祈り,ラテン語をそのまま読んだ祈り,旋律の付いたオラッシャと呼ばれる聖母讃歌などの祈り歌,形態は様々で,中には原典が不明なものもありますが,読経や聲明・御詠歌などとも共通して霊的空間を生む響きを持っています。 ♪でうすぱいろ ひーりょう すべりとさんとの みつの びりそうな ひとつのすすたんしょうの御力を以って始め奉る。…それにしても聞こえてきた「おらしょ」を音楽的と言って良いのかどうか。グレゴリオ聖歌の名残もあるとおっしゃる物知りな方もおられますが,…ちょっとだけ悩んだフリをしてから空想に耽ります。 妖怪や異次元の存在を伝説でなく現実のものと主張して学会を負われ,各地の怪奇な事件を実地に探究している考古学者・稗田礼二郎をご存知でしょうか。彼の調査報告書の中に,東北地方のかくれキリシタンを扱ったものがあり,その中に挙げられている九州の地名のいくつかに,このCDが録音された長崎県北松浦郡生月(いきつき)町があります。平戸市の西方にある全長10kmに満たない細長い生月島。今では有料の橋で平戸と結ばれ観光ルートになっていますので,お近くをお通りの際にはぜひお寄りください。 さて,明治になって彼らを発見した宣教師達は,彼らの守り伝えて来たものからある部分が抜けていたり回数が間違っていると書き記しているそうです。ところが確かめて見ると,それは潜伏に入った当時のままの形で正しく伝承されており,宣教師のものの方がその後のヨーロッパで付け加えられたり変化したものだったのです。日本とローマが政治的理由で断絶してしまったために,それぞれの変化を余儀なくされた流れが,数百年の時を越えてやっと一つになった時,それは,同じキリスト教徒でありながら,もはや別の伝統と呼ぶべきものになってしまったというわけです。先祖供養や民間信仰的な行事を含んでしまったかくれキリシタンをカトリックと呼ぶべきや否や。聞けば聞くほど興味が深まるおらしょなのです。 おらしょ〜生月壱部かくれキリシタンのゴショウ fontec FOCD3475(2000) 2004.09.04 Saturday
アウター・リミッツ〜THE OUTER LIMITS
1960年代前半の2大海外SFドラマは何かと問われて「トワイライト・ゾーン(以下 TZ)」と「アウター・リミッツ(以下 OL)」と答える人が多い。…実際に見ていた人は「ミステリー・ゾーン」と「ウルトラ・ゾーン」ですね。でも,この2本はかなり違います。優等生の委員長と軽いノリのおちゃらけ者ほど違います。賞を取るようなSF小説と読み捨てのSFマンガほど違います。昭和のゴジラとガメラほども違います。…もういいか。
毎回怪物や異形の異星人が登場します。安作りな愛すべき造形です。ストーリーもいい加減です。その辺りのテキトーさを笑いながら見るのが OL の正しい見方であるような気がします。 CD は,前回の「スター・トレック」と同様,マスター・テープから発掘された TV-SF 番組のオリジナル音源集…とでも言うべきシリーズを地道に出し続ける GNP/Crescendo からのリリース。作曲者は「インベーダー」「ラット・パトロール」(アフリカ戦線が舞台の戦争アクション。面白かったです。)など数多くのテレビ劇伴音楽を作っているドミニク・フロンティア。…それだけでなく,ニルス・ロフグレン,シカゴ,チューブスなどの編曲・プロデュースまでこなす達人なんである。 本国では1963年の放送。ドラマの音楽は,ある程度のパターンを最初に録り溜めしておいて,そこから使い回しをするのが当り前だと思っていましたが,この頃は,一回一回ドラマに合った曲を作り録音をしていたんですね。このCDでは導入と最後のナレーションとオープニング&エンディング曲があって,2話分の録音が全て。効果音集が収録されているけれど,まるでミュージック・コンクレート(テープ操作でノイズや変わった音を作り出す手法)の前衛音楽。「禁断の惑星」のサントラなどが代表選手でしょうか。シンセサイザーやサンプリング技術の存在しない時代に「SF らしい音響」を音楽と共に表現するのはとても楽しかったことでしょう。 THE OUTER LIMITS〜original TV soundtrack GNP/CRESCENDO GNPD-8006(1993) 2004.09.03 Friday
スター・トレック〜The Original Series
宇宙を舞台にしたSFドラマが好きです。中でも幼少期に出会ったアメリカの国民的人気番組「スター・トレック〜Star Trek」のオリジナル・シリーズ(以下TOS)は,自分が宇宙空間を浮遊するイメージを,意識できないほどの心の奥底にすり込んでくれました。今でも瞑想しながら,自分が宇宙空間に浮かんで地球を見下ろしていたり,銀河の光に満ちた中心部を眺めていたりする,腰の抜けるような至福に満ちた感覚を味わえます。そこは静寂の世界で,音楽が鳴っていたりエンジンの音が響いていたりすることはないのですが。
このアルバムは,TOS のパイロット版“The Cage”と“Where No Man Has Gone Before”の為に録音されていた音楽集です。昔の海外ドラマを見ていると1話ごとに話に合った音楽が使われているのに気が付きます。それを一つ一つ聞き分けていくのもファンの楽しみの一つな訳です。TOS の音楽集は,この後も人気のあるエピソードの音源がたくさんCD化されていますが,やはりメイン・タイトル曲が格別です。 金管楽器のファンファーレ。落ち着いた男性のナレーションが,クルー達を待ち受ける冒険を暗示する。・・・宇宙,それは人類に残された最後の開拓地である。そこには,人類の想像を絶する新しい文明,新しい生命が待ち受けているに違いない。これは,人類最初の試みとして,5年間の調査飛行に飛び立った,宇宙船USSエンタープライズ号の,驚異に満ちた物語である。・・・弦に乗り宇宙を舞いながら疾走するソプラノの声。ワクワクし通しの導入部です。 オープニング・テーマは時を越えて,今も製作され続けているシリーズにも受け継がれています。単にドラマの主題曲と言うより,製作者の故ジーン・ロッデンベリーが思い描いた明確で理想主義的な未来のビジョン…TOS よりも「Star Trek: The Next Generation」(以下TNG)以降のシリーズに濃厚です…を,視聴者に喚起させる引き鉄として音楽以上の存在になっていると言いたいほどです。 再放送もある,ビデオだって出てるし,最近 DVD のボックス・セットも出た。それでも,この CD は由緒正しい Vintage なんです。番組に使われたサウンド・トラックからでなく,マスター・テープから起こしてリマスターされた,途中でちょん切れない曲が聞ける,ファンにとっては20年目(リリース当時ね)にして初めて耳に届いたプレゼントなのです。 GNP/CRESCENDO GNPD-8006(1985) キング K32-4017(1986) 2004.08.29 Sunday
ハワイアン二世ソングス
アメリカに移民した日系の歌手が吹き込んでいるジャズソング(当時は洋楽をこう呼んだ)は復刻もしばしば行われて,耳にする機会も何度かありましたが,ハワイ在住の2世の歌手やバンドによるこんな流行歌が作られ,親しまれていたなんて・・・全く知りませんでした。ハワイに移民した日本人2世によって,1950年代に録音された極上の味わいのポップス。日本でもアメリカでもなく,ハワイでもない。しかしなんとも懐かしい気分になるのはどうしてだろう。
ハワイアン二世ソングス ラテンの味付けが濃いのは当時の大流行を受けてのことでしょう。本土・沖縄の民謡あり流行歌あり,韓国・中国・インドネシア・フィリピン・アメリカの歌あり,オリジナルあり。このオリジナル曲が実に,面白い。 ♪ドコ ユクノ ココイラシャイネ/チョト アノネ オハヨゴザイマス♪と怪しい日本語でゆるりと迫る“ジャパニーズ・ルンバ”や“ゴメンナサイ”。アメリカで流行するマーチン・デニーやレス・バクスターらのエキゾチック・サウンドと,どちらかが先で影響がどの方向へ動いていたのか興味が湧いてきます。 日本民謡をジャズやラテンで演奏した作品は,戦後〜60年代にかけてかなりの数が録音されています。そのどれにも負けない“会津磐梯山”“炭坑節”を聞いていると,日本国内の音楽事情と結びつくことなく消滅していったのが何故なのか,考えてしまいます。探っていくと何かとてつもなく面白い歴史が見つかるかもしれないなあ。 もう一つ興味深かったのは,近江俊郎の歌で知られる“別れの磯千鳥”がハワイで作られた歌のカバーだったこと。おそらく国内で作られた歌だと思っている人の方が多いかも。民謡ならいざ知らず,こんな典型的な日本の歌謡曲との類似をハワイの日系社会が保持していたことに驚きました。外国に永住する日本人が自分の伝統をどう保存して行くのか,或いは,どう失いその地域に同化して行くのか,歌を通してそんな見方ができたことがとても面白く思えました。 2004.08.28 Saturday
1900年パリ万博の川上一座
いよいよ年代物の逸品を紹介して行きます。カテゴリーは vintage でどうでしょうか。
日本国内における初の録音は1903年(or1901年)とのことですが,国外で日本人の関った録音となるとさらに遡って1900年,パリ万博のことでありました。経緯はさて置き,聞こえてくるのは欧米を巡業中であった川上音二郎一座であります。英EMIに埋もれていた28の音源が発見され,1997年12月にめでたくCDとして発売されたのでした。内容は・・ 甦るオッペケペー〜1900年パリ万博の川上一座 圧巻です。正直これらの題名を見て,ワタシ,引きました。(笑) 元祖オッペケペー♪を聞いてみたい一心でレジに持って行きましたが,これが日本初の録音でなきゃ見て見ぬ振りして通り過ぎてたかもしれません。 貴重な録音であるのは分かった。内容はどうか。欧米で人気を博したと噂に聞く一座の芸達者振りを聞かねばなりません。しかし,・・あれれ。どう贔屓目に見ても素人芸能集団に毛の生えたようなものにしか聞こえない。近所のおっさんが「おっぺけぺっぽーぺっぽーぽぉ〜〜いとくらぁ,こんちくしょうめ。」とがなっているのと変わらないのです。なるほど,当時の娯楽とはこのようなもので楽しんでいたと取るか,わけのわからない機械を前に要領を得なかったと取るか。座長はどっか遊びに行ってるし。(笑) そう。とても残念なことに,川上音二郎と貞奴の声は収録されていなかったのでした。そもそも音二郎が書いた「欧米漫遊記」でもこの録音のことは触れていないそうで,解説には「このレコードの存在を知らなかったかもしれない」と書いてあります。まあ,二人がいたからと言って出し物の品質が上がったかどうかわかりませんが。 |
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