2005.10.15 Saturday
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古今東西音楽館増築部2005.10.15 Saturday
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2004.08.31 Tuesday
Great Cola Commercials 2
昨日書いたのは「コカ・コーラのCMソング」集。とすればペプシを筆頭に有象無象のソフトドリンク,フルーツ・ジュースの類にルートビアなど,清涼飲料水連合軍のCMソングも聞いてみたくなるのが人情と言うものではないでしょうか。そんな気持ちで悶々としていたある日,このCDと出会ったのでした。「求めよ!さらば与えられん」とはこのことだと喜んだのも束の間,ペプシと Dr.ペッパー(覚えてますか?)のCMを含んではいるものの,年代バラバラ(1曲目から84年のマイケル・ジャクソンだ)の編集意図の掴めぬ前回以上に怪しげな1枚だったのです。まず,収録内容を見ましょう。
Great Cola Commercials 2 おおい,70年度はどうした。73年から82年までの11年間はどこへ行った。CMを作らなかったはずはないだろうし,スターの歌わない別パターンのCMだったのか,広告代理店でも変わって収録ができなかったのか,…等々,よせば良いのにいろいろ気になり出します。それに「2」です。ぜひとも「1」を聞きたくなります。が,調べてみると何のことはない。前回紹介した"Coca-Cola Commercials"と全く同じものが Volume 1 としてリイシューされているようなのです。見たことないですが。 脱線しましょう。少なくとも,ペプシがコカコーラのシェアをジリジリと奪って行く1970〜80年代は,販売戦略の歴史から見るとものすごく面白いものがあるらしいですね。30才の若さで副社長の座についたジョン・スカリー(John Sculley)が行ったのが“ペプシ・ジェネレーション”キャンペーンと伝説の“ペプシ・チャレンジ”キャンペーンが有名なのだそうです。コカコーラとペプシを街頭で目隠しテストさせるヤツね。スカリーと言えば,コンピューター好きには,アップルに引き抜かれ,ついには創設者スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)を追い出すことになる辣腕経営者。その“ジェネレーション”キャンペーン時期の歌が特に印象深く聴けます。60年代から明かにCMソングとして進化を遂げ,独立した楽曲としてヒット曲の顔をしています。日本でもある時期を堺に,CMからヒット曲が誕生するようになりますが,その走りなのかもしれません。 おそらくは熾烈な戦いを繰り広げていたであろう1971年の♪It's the real thing のメロディは当時の日本のテレビっ子にもお馴染みのはず。しかしペプシの1972年。♪Pepsi's got a lot to give の15組の連続攻撃は感涙モノです。同じ歌のはずなのに全部違う,一耳でわかる個性的な歌。どれもこれもフル・バージョンで聴きたくなります。ならなかったらポップス・ファンじゃない。もし存在するのなら Volume 3 以降もぜひ聞いてみたいですねえ。1960年以前とか世界各国版とかね。それでこそ古今東西音楽館の看板にふさわしい。 2004.08.30 Monday
Coca-Cola Commercials
Hey! Catch the Sheekers! という謎のDJの声で始まる60分。1966年から69年までのコカコーラのCMソングを65曲集めた出自不明の恐るべき一枚です。テレビで流れたままの音源でしょうか。時々グループを紹介しているDJの声から判断すると,どこかのラジオ曲が特番を組んだ時の録音であるかのようにも思えます。
それにしても,米英人,白黒人,お構いなしの人気者ばかり。スターがCMに出るのが人気の印である日本と違って,海外ではイメージダウンに繋がると聞いたのは嘘だったのか? まず1960年代後半のポップス・シーンを俯瞰できてしまほどの名前をご覧あれ。 The Seekers; Fontella Bass; Tom Jones; Petula Clark; Jay & Americans; Wayne Fontana & Mindbenders; Jan & Dean; Freddie Cannon; Gary Lewis& Playboys; Supremes; Troggs; Lee Dorsey; Leslie Gore; Vogues; Roy Orbison; Drifters; Ray Charles; Nancy Sinatra; Joe Tex; Moody Blues; Fortunes; Lulu; American Breed; Jay & Techniques; Box Tops; Bee Gees; Tremeloes; Aretha Franklin; Sandy Posey; Marvine Gaye & Tammi Terrell; Marvin Gaye; Brooklyn Bridge; B.J. Thomas; Jerry Butler; Carla Thomas; Vanilla Fudge; Ray Charles & Aretha Franklin; Boyce & Hart; Fifth Dimension; Gladys Knight & Pips このCDの存在を知ってから何としてでも聞きたかったのがヴァニラ・ファッジとムーディー・ブルースの2組でした。片やポップスやクラシックの名曲をとてつもないアレンジでドラマチックに表現するヘヴィなロック。それも3大ギタリストの1人ジェフ・ベックと共演というおまけ付き。片やR&Bからメロトロン鳴り響く幻想派の元祖へと変身したブリティッシュ・バンド。陽光輝くコカコーラの世界とどう結びつくのか全く想像できませんでした。ロックをやるならそんな世界には背中を向けて,ヤクでもキメて唾を吐きかけてるよな…なんて。 しかし勝手な幻想を持っていたのは島国日本の私の方だったようで。老若男女・善人悪人・美醜を問わず,誰もが愛するアメリカの国民飲料コカ・コーラなのでありました。ロックもまた商売なり。どんな破壊的な音を出そうが,どんな格好をしようが,それを飲み込んでビジネスにしてしまうのがアメリカだったのです。残る望みは映像でこの2組のコマーシャルを見ること。どうも髭面・長髪のいかつい男共が海辺で走り回ってるハッピーな映像を想像することができないのです(;^_^)ゞ。それもまた,あちらでは普通の光景だったのかもしれませんがね。 一曲の構成は高度(笑)です。どの曲もそれぞれ前半はコカ・コーラが歌詞に折り込まれてはいるものの,正に自分の持ち歌の味そのまま…ソウル・シンガーはソウルフルに,アイドル歌手はアイドルフル(笑)にキメてます。そして後半を♪Things go better with Coca-Cola 〜という同じフレーズ…日本でなら♪スカッとさわやかコカ・コーラ…に繋げて締め括るという,魔術的で完成度の高い1分間に仕上がっているのです。(爆) 2004.08.29 Sunday
ハワイアン二世ソングス
アメリカに移民した日系の歌手が吹き込んでいるジャズソング(当時は洋楽をこう呼んだ)は復刻もしばしば行われて,耳にする機会も何度かありましたが,ハワイ在住の2世の歌手やバンドによるこんな流行歌が作られ,親しまれていたなんて・・・全く知りませんでした。ハワイに移民した日本人2世によって,1950年代に録音された極上の味わいのポップス。日本でもアメリカでもなく,ハワイでもない。しかしなんとも懐かしい気分になるのはどうしてだろう。
ハワイアン二世ソングス ラテンの味付けが濃いのは当時の大流行を受けてのことでしょう。本土・沖縄の民謡あり流行歌あり,韓国・中国・インドネシア・フィリピン・アメリカの歌あり,オリジナルあり。このオリジナル曲が実に,面白い。 ♪ドコ ユクノ ココイラシャイネ/チョト アノネ オハヨゴザイマス♪と怪しい日本語でゆるりと迫る“ジャパニーズ・ルンバ”や“ゴメンナサイ”。アメリカで流行するマーチン・デニーやレス・バクスターらのエキゾチック・サウンドと,どちらかが先で影響がどの方向へ動いていたのか興味が湧いてきます。 日本民謡をジャズやラテンで演奏した作品は,戦後〜60年代にかけてかなりの数が録音されています。そのどれにも負けない“会津磐梯山”“炭坑節”を聞いていると,日本国内の音楽事情と結びつくことなく消滅していったのが何故なのか,考えてしまいます。探っていくと何かとてつもなく面白い歴史が見つかるかもしれないなあ。 もう一つ興味深かったのは,近江俊郎の歌で知られる“別れの磯千鳥”がハワイで作られた歌のカバーだったこと。おそらく国内で作られた歌だと思っている人の方が多いかも。民謡ならいざ知らず,こんな典型的な日本の歌謡曲との類似をハワイの日系社会が保持していたことに驚きました。外国に永住する日本人が自分の伝統をどう保存して行くのか,或いは,どう失いその地域に同化して行くのか,歌を通してそんな見方ができたことがとても面白く思えました。 2004.08.28 Saturday
1900年パリ万博の川上一座
いよいよ年代物の逸品を紹介して行きます。カテゴリーは vintage でどうでしょうか。
日本国内における初の録音は1903年(or1901年)とのことですが,国外で日本人の関った録音となるとさらに遡って1900年,パリ万博のことでありました。経緯はさて置き,聞こえてくるのは欧米を巡業中であった川上音二郎一座であります。英EMIに埋もれていた28の音源が発見され,1997年12月にめでたくCDとして発売されたのでした。内容は・・ 甦るオッペケペー〜1900年パリ万博の川上一座 圧巻です。正直これらの題名を見て,ワタシ,引きました。(笑) 元祖オッペケペー♪を聞いてみたい一心でレジに持って行きましたが,これが日本初の録音でなきゃ見て見ぬ振りして通り過ぎてたかもしれません。 貴重な録音であるのは分かった。内容はどうか。欧米で人気を博したと噂に聞く一座の芸達者振りを聞かねばなりません。しかし,・・あれれ。どう贔屓目に見ても素人芸能集団に毛の生えたようなものにしか聞こえない。近所のおっさんが「おっぺけぺっぽーぺっぽーぽぉ〜〜いとくらぁ,こんちくしょうめ。」とがなっているのと変わらないのです。なるほど,当時の娯楽とはこのようなもので楽しんでいたと取るか,わけのわからない機械を前に要領を得なかったと取るか。座長はどっか遊びに行ってるし。(笑) そう。とても残念なことに,川上音二郎と貞奴の声は収録されていなかったのでした。そもそも音二郎が書いた「欧米漫遊記」でもこの録音のことは触れていないそうで,解説には「このレコードの存在を知らなかったかもしれない」と書いてあります。まあ,二人がいたからと言って出し物の品質が上がったかどうかわかりませんが。 2004.08.27 Friday
蓄音機の時代(2)
蝋管式に対して円盤方式が誕生し普及し始めるのは意外と早く,蝋管式の10年ほど後だそうで,日本でも円盤式の初吹き込みが行われたのは1903年なのだそうです(一説には1901年とも)。ちなみに英国グラモフォン&タイプライター社(現EMI)による世界の音の収集の一環だったようです。今の感覚で思い描く以上に,世界は狭かったのかもしれません。映画の世界でも同じ様に日本の映像も残されていてビデオ等で見る事もできますが,音の方もぜひとも聞いてみたいものですね。何しろ映像には音が付いていませんから。国会図書館のような音響保存館なる施設があってもいいし,ネット上に音響データだけでもデータベースを作り何時でも聞けるようになったら面白いと思います。「大人の科学」シリーズの「ベルリナー式円盤蓄音機」も作ってみたいね。
2004.08.26 Thursday
蓄音機の時代(1)
20世紀は人類最初の映像と音響の記録の時代でした。19世紀後半にエジソンが発明した円筒式の蓄音機は,すぐに日本へも持ち込まれ寄席などの音が蝋管に録音されたそうです。調べてみると日本初の録音はなんと1891年のことでした。何がどんな風に録音されたのか好奇心が疼きますね。映画「歌追い人〜Songcatcher」で主人公がアパラチアの山の中へ運び込み,人々の生活と共に生き続けていた歌を採集するのに使ったのが,この蝋管式の録音機。1907年の時代設定でした。ひとつ,学研の「大人の科学」シリーズで出ていた「エジソン式コップ蓄音機」で,この時代の追体験をやってみますか。
2004.08.25 Wednesday
前口上
古今東西音楽館は館主の趣味と興味のままに,世界の音楽を古いのも新しいのもひっくるめて収蔵する為に立ち上げたウェブサイトですが,珍らしい単発モノや館主の記憶に眠っている歌については収蔵し切れていませんでした。これらを,余りうん蓄を傾けず,気楽に書きたくなって増築に踏み切りました。初めの内は別の所で発表したものを再構成して語って行きます。
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