古今東西音楽館増築部

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フィンランドのサンプラー(2)
Finnish Folk SongFolk Voices / Finnish Folk Song Through The Ages Ondine ODE-934-2(1999)
 同じくフィンランドを代表するクラシックの国際レーベル(新興勢力だけどね)とは言え,前回の Finlandia(Warner) と比べると,こちらの Ondine は10ページの解説と16ページもの英訳付き歌詞を載せたブックレットが志しの高さの違いを表しています。
 それもそのはず,サンプラーと思って買ってみたら歴とした新作の企画盤。社長のレイヨ・キールネン(Reijo Kiilunen)氏がシベリウス・アカデミーの音楽オタクである関係からか,アカデミーのフォーク科出身の実力所が集められてのタイトル通りの年輪を刻んだ歌が19曲。

 楽器は最小限(しかしユニーク),歌と声を前面に立てた作り。クラシックとフォークの境界の曖昧さを窺がわせる様々な表現を聞いていると,他の国の音楽事情とは少し違っているんだろうなと思います。地声なんだけれど情熱に任せない,感情に走らない端正で訓練の行き届いた声は,抑制と言うのでもないなあ。きちんと歌詞と情感の調和が取れていて心地良く響きます。
 国家の独立の為に民族音楽が重要な役目を果たしたフィンランドの事。これが今現在の民族の声だと言っても間違っていないかも。

 タッラリ(Tallari)らのグループが大衆的な匂いを醸す歌を披露すれば,古代の呪術だか狩猟民族の血だかを蘇らすような発声と前衛的なボイス・パーフォーマンスがまるで同じもののように聞こえたり。カレワラの詩を女性合唱団が中央ヨーロッパ的な唱法で歌ってみたり。どのような表現であろうと,それがそのまま町の通りに存在するような。そんな気がします。
 ノルウェイやスウェーデンとよく似た牛飼いの声があったり。あまり踊りぽくないが“〜のポルスカ(polska)”というタイトルが3曲もあるのはスウェーデン支配が長かったせいか。ロシアの影響が少ないのは民族運動が高まったのとロシア帝政の崩壊が重なったせいもあるのか。その辺の所はよく分からない。

 バラッドだろうか子守歌だろうか。炉辺で歌ってもらっているようなリズムのない女声のソロが続く後半は,白夜の長い夜,雪に閉ざされた森の小屋を思わずにいられません。しばらく胎内回帰しま〜す。
| gingerpop | folk music | 23:31 | comments(4) | trackbacks(2) |
フィンランドのサンプラー(1)
 昔からレーベルのサンプラーを見つけると,つい値段に目をやり,安ければ取り敢えず買っておこうと手に持ってしまいます。デパ地下やスーパーの食品売り場の試食マニアや薬の試供品好きなんかと変わらない性癖ですかな。
 普通はレーベルを代表するミュージシャンや力を入れて売り出そうとしている曲なんかが入っています。時には,設立ン周年かなんかでレーベルの歴史や主張なんかが書いてあったり,珍しい写真が載っていたりするモノにぶつかるとウレシイす。でもそうじゃなかったりするとうんと損した気分になります。(;^_^)ゞ

FinlandiaFinlandia Sound Souvenir 20
 クラシックで有名なこのフィンランドの代表レーベル・フィンランディア。ワーナー系列なもんで,世界市場に向けた商売をし始めた1990年代の総まとめとして出したものかも。でもそれにしちゃあブックレットが1枚の紙を折っただけ…裏表紙には何も書いてなくて,内側の2ページに収録曲は21曲のタイトル・ミュージシャン・作者・年・番号が書いてあるだけ…のそっけないもの。一応タイトルの英訳だけは書いてあるけれども。

 まあ,それによると1970年〜1998年の録音がある程度満遍なく集めてある。いかにも抒情なワルツとかクラシック好きの国らしい上品な小品とかが初期の人達。カウスティネン・ポプリ・プレイヤーズ(Kaustisen Purpuripelimannit)という可愛らしい名前のグループ。カウスティネン(Kaustinen)はヘルシンキからかなり北へ行った何もない町だそうですが,「何もない」とは普通の人にとってであって,北欧の伝統音楽が好きな者にとっては「ここにすべてがある」町です。ただし7月だけではありますが。
 国立の民族音楽研究所があるこの町は伝統を色濃く残した土地で,1960〜70年代のフォーク・リバイバルで人気を博したコンスタ・ユルハ(Konsta Jylha)が生まれ活躍した町で多くの演奏家・歌手を輩出しています。
 7月に毎年催されるカウスティネン・フォーク・フェスティバルは,今では世界中からルーツ・ミュージックの演奏家が招かれるほど大規模な祭になりました。

 70年代の曲にはオーソドックスなヨイクやマルッティ・ポケラ(Martti Pokela)氏らによるカンテレ(Kantele)トリオの演奏が収録。ポケラ氏はカンテレの第一人者で音楽教授。前衛的な作品を一度聞いたことがありますが,ここでは(ホテル・カリフォルニアのイントロ似の)伝統曲がいくつか聞けます。

 80年代は不思議な事に,まだ女子高生合唱団だったヴァルティナ(Varttina)が1曲だけ。アレンジもよく施さず少女達ががなりたててるだけ(あ,ほめてるんで…一応)のデビュー盤と同じ年の録音だけれど,格段の進歩の見える曲。ああ,セカンドに入ってるのかも。持ってないんで確認しようがない。サックスやフィドルがかっこいい“Sorja Poika”という歌。意味は“Pretty Boy”だって。
 他は1990年代中盤以降にヴァルティナ旋風の影響を受けて出現したグループが中心で。アンゲリン・ティトット(Girls Of Angeli)やシルマッカ(Sirmakka)は日本でも大きな宣伝してましたね。丁度来日したばかりのヤァラホーン(Gjallarhorn)の1作目からも。あれ,日本発売は女性優遇じゃん。男性版シルマッカなミリャリット(Myllarit)は出ませんでしたよ。この後彼らは,カレリアン・フォーク・パンク(笑)みたいにして伸びていくんですが,でもやっぱり日本じゃ受けないよなあ。

Finlandia 3984-24652-2(1999)
| gingerpop | folk music | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
長崎ぶらぶら節〜愛八
長崎ぶらぶら節ビクター VICG-60403(2000)

映画にも舞台にもなったなかにし礼の小説「長崎ぶらぶら節」の主人公・愛八本人の演唱によるSPをすべて収録したもの。昭和6年の2月の録音10曲で同年5月〜翌7年11月にかけて発売されています。

 CD では Aihachi となっていたのでずっとそう思っていましたが,いくつかの文献では「あげはち」とされているそうです。親族で「あいはち」と呼ぶ方もおられたようですが,親族にだけそう呼ばせていたのかもしれないと,取り敢えず「あげはち」と呼んでおくことにしました。

 もともと日本人は誰もが詩を読む事や歌を歌うことが得意だったのではないかと考えています。(日本音楽史家・小島美子さんも「クラシックを音楽の頂点に置く教育が歌えない日本人を作り出した」とずっと主張しておられる。)
 子守歌で眠り,爺や婆が語る昔話が歌として耳に届き,子供の遊びのほとんどが歌と結び付いていた頃,若者は男女の寄り合いで歌で気を引こうと頑張ったり気持ちを伝え合ったりしただろう。毎日の作業には仕事歌,冠婚葬祭に祝の歌・弔いの歌。季節の節目には祭りの歌。そして慰霊や神に捧げる歌。

 社会や制度の変遷と共にそれらが発展して専門の集団ができれば芸能としての道を歩むわけです。最初から芸能有りきとは思えないんですね。きちんと本を読んだわけでもない不勉強者の戯言ですが,「芸」になる以前,庶民の生活の中にシャボン玉のように現れては消える歌に興味が湧くのです。難しく言えば公共性を獲得する以前のとても個人的な歌に…かな。
 乱暴に言ってみれば,作家・作品なんてどうでもいい。出来が良いもの悪いもの,みんなひっくるめて生活の糧である歌。聞く事・体験することの不可能なものへの憧れがあります。フィールド・レコーディング…これは紛い物です。紛い物として愛すべき物。

 一方で庶民の歌のある部分は都市に流れて変形し,磨かれて光ったものがスタイルを確立していったのだろうと夢想します。遊郭・寄席・芝居小屋・旅芸人・・・演じる者と受け取る者が明確に分かれる場で,喜ばれ繰り返し演じられてより強い生命力を獲得していったのだろう。それでもある芸は消え,ある芸は残る。そして変化する。
 このアルバムにも“江差追分”が収録されています。今でこそ民謡の王様的扱いを受けるこの歌も,都会で洗練されて初めて全国区のいわゆる「民謡」になったのかもしれません。

 消え行くものを惜しみ,形に残そうとする人がいるのは何故なのか。消えて行く感性や美意識を惜しむのはどういった類の人なのか。まあ考える事はたくさんありますが。取り敢えず図書館で借りそびれたままになっている本を早く読まねばなあ。
| gingerpop | vintage | 16:48 | comments(0) | trackbacks(1) |
マリー・ラフォレのベスト盤
CDの背表紙にカタカナでタイトルや歌手名を書いてくれる親切な中古CD屋さんがありますよね。ワールド・ミュージックなる音楽が流行っていた頃は,時々とんでもない読み方が書いてあってけっこう面白がっていたものですが,近頃はめっきり減ってしまいました。何語で書いてあるのか分からないCDの総量が減ったという事なんでしょう。

毬絵裸婦織 先日マリエ・ラフォレットという女性のベスト盤を見つけました。<文字変換では真理恵と万里江の二つが出るなあ。でも毬絵・裸婦織なんてのも良いなあ。(笑) ご年配の方はお察しでしょう。マリー・ラフォレ嬢です。「太陽がいっぱい」「赤と青のブルース」の美人女優さん。ジャケットの半開きの口元,可愛いですなあ。見せてあげないけど。(笑)

 最近は彼女の日本盤は出てないみたいですね。以前の歌う女優さんシリーズ…BBがイチバン!…にも入ってなかったし,ちゃんと聞くのは初めてです。
 時代的にはイェイェ系のサウンドやサンレモ音楽祭的イージーリスニングな音を予想してたんですが,少しはそういうものもあったものの,多くは音数の少ない,PPM(ピーター・ポール&マリー)なんかをヨーロッパ的に解釈し直したような,いわゆるヨーロピアン・トラッドに近い部分も。ブリティッシュ・フォークの中でもギター一本で地味にぼそぼそと歌う魅惑の美女な曲も。そりゃ,シルビー・バルタンやフランス・ギャルよりずっとお姉さんだものね。
 天然ビブラートの歌手は大体好きにならないんですが,とても好きになってしまいました。一般的には脱力系の美声と受け取られてるのでしょうが,高い音の芯がきりっと通ってるとこは最も好きな声質です。“Summer Wine”はさすがに声の震え気になりますが…相手の男も震え系でイヤ(笑)…そうね,カバー曲の選曲,良いです。発表年代がバラバラな感じだけれど,ユパンキの曲(バックがロス・インカス)やドゥワップ(雰囲気は50年代末期のポップスかな)も。
 “黒く濡れ”…おっとっと“黒く塗れ”や肝心の“赤と青のブルース”が入ってなかったので,曲がダブらないような奴をもう1枚見つけなくっちゃ。
| gingerpop | rarities | 20:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
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